1987年12月24日の渋谷公会堂で解散したBOØWYは、ファンへのプレゼントの意味と、メンバーがソロ活動をしていく上でのビジネスとしての最初で最後の大規模なコンサートを、まだ完成して間もない東京ドームにて4月4,5日の2日間にわたって行った。このLAST GIGSと題されたBOØWYとしての最後のライブは、95,000人分のチケットが約10分で完売。このチケット争奪戦は都内の電話回線がパンクする地域が出るほど激しいものでニュースにもなった。ライブの開始前から、ライブアルバムおよびライブビデオの発売もアナウンスされていたが、実際にはライブアルバムのみのリリースとなり、流出したLAST GIGSのライブ映像のブートレッグが高値で取引される事態を引き起こした。しかし、これが解散後もBOØWYの人気が衰えなかった要因の一つであることも否定はできない。もちろん、BOØWYが残した作品群が時代を超えた素晴らしさをもっているからなのだが、やはりBOØWY最大の魅力はライブだったと思う。

4月5日,小泉今日子のアルバム「BEAT POP KOIZUMI KYOKO SUPER SESSION」リリース。布袋寅泰をはじめ野村義男、ホッピー神山、小室哲哉、久保田利伸、サンプラザ中野、加藤ひさし、パール兄弟、岡野ハジメといったミュージシャンが多数参加した作品で、いわゆるアイドルのアルバムという先入観を見事に裏切るカッコいいアルバムに仕上がっている。布袋寅泰は3曲ギターで参加している。

BOØWYの解散宣言からLAST GIGSまでの間に布袋は、山下久美子のアルバム「Baby alone」の製作とレコーディングを行っていた。「1986」「POP」に続く布袋寅泰X山下久美子の三部作の三枚目のアルバムである。BOØWYと共に並行して行ってきた山下久美子に関する活動もこの1988年に一旦区切りを迎えることとなった(山下久美子が専業主婦として歌手活動を休止したため)。

5月3日,BOØWYのライブアルバム「LAST GIGS」リリース。この模様を収めたライブ盤は150万枚という驚異的な売上を記録。ライブ盤は一般的に売れないものであるが、まさにLIVE BANDとしてのBOØWYの凄さを証明する結果といえるだろう。

6月21日,山下久美子アルバム「Baby alone」リリース。

BOØWY解散後の初めてのライブ活動となったのは、山下久美子の"Baby alone in BABYLON" Tour 1988。ホッピー神山、池畑潤二、松井恒松と共に参加。


GUITARHYTHM
1988/10/05
BOØWYという1つの成功を成し遂げた後、布袋は、”自分に足りない何か”を探すという旅を始めた。やがて、その旅は”本当の自分を見つめ直す”という自己探求の旅へと姿を変え、ROCK MUSICと出会ってから現在のまでの10数年間の布袋自身を”音”で表現するべく、6月にビートルズで有名なアビーロードスタジオにてレコーディング開始。そしてGUITARHYTHMという作品を産み出した。 GUITARHYTHMのBOØWY時代とはまったく異なるサウンドは、ファンはもちろん日本のミュージックシーンにも衝撃を与えた。コンピューターとロック・ギターの融合というサウンドは、当時としては画期的なことで、日本のジグジグスパトニックと評されたりもした。サウンドだけでなくVivienne Westwoodの名作Armour Jacketに身を包んだ布袋寅泰を宇野亜喜良が描いたアルバムのアートワークも話題になり、アルバム全体として評価が高く、現在でも根強い人気を誇る。 レコーディングと発売の間の8月には、山下久美子のコンサートツアーに参加。 そして、GUITARHYTHM LIVEと題された布袋ソロ初ライブが、代々木と大阪の2ヶ所で行われた。

12月5日、東京ベイNKホール(2005年に閉館)にて山下久美子が単発ライブをを行った。
「TOMOYASU HOTEI / HOPPY KAMIYAMA / TSUNEMATSU MATSUI / JUNJI IKEHATA そして、現在もなお、私の歌を愛し、見つめ、支えてくれるみんなに、このコンサートを捧げます。ありがとうを100万回言っても足りないくらい感謝してるわ。心臓の鼓動が打ち出すBeatの中でもう一度、燃え尽きるまで歌い、私の瞳が涙で揺れて見えなくなるまで踊り続ければ、それでいい!Stop Stop Rock'n Roll!BUT,サヨナラは言わない、又、いつの日か逢える時まで。Thank you forever. Kumiko Yamashita」
このライブをもって、山下久美子の活動は一旦休止。


12月10日、突然「COMPLEX」というユニットが誕生した。吉川晃司と布袋寅泰という超大型ユニット。極秘のうちに進められていたプロジェクトらしく、突然のCOMPLEX登場に、世間の注目がが集まった。BOØWY時代から音楽的な交流だけでなく、プライベートでも仲が良かった二人。布袋寅泰は、1986年~1987年までの間に吉川晃司のソロアルバム3枚(「MODERN TIME 」「A-LA-BA・LA-M-BA」「GLAMOROUS JUMP」)に参加しており、そのうち1987年の吉川晃司のアルバム「GLAMOROUS JUMP」のタイトル曲では作曲者として吉川と布袋による"W.GUY"という名前が使われている。さらに歌詞には"GLAMOROUS JUMP とどかない世界へ飛び出せ GLAMOROUS JUMP 夢のつづき二人ならつかめるさ"とある。そして、この「GLAMOROUS JUMP」というアルバムは吉川晃司が活動を休止するにあたって制作されたものであり、BOØWYも1986年に解散を決め1987年の解散に向けて活動していたことから察するに、吉川と布袋でユニットを組むということはBOØWY時代に決めていたことと思われる。当時吉川晃司は凄いことをやるといった今でいう匂わせ発言もしていた。COMPLEXという名前の由来は2人とも高身長であったことから、それがコンプレックス(劣等感)だからという冗談のようなことがきっかけで、英単語の意味を調べたら「複合体」であることを知り速攻で決めたという。

布袋寅泰のソロ活動は時系列的にはBOØWY解散後にGUITARHYTHMでソロ活動をスタートさせたことになる。そして、GUITARHYTHMのような”完璧”なソロ作品を完成できたから、COMPLEXを結成できたのではないかと思えるが、COMPLEXについては「ひとりひとり独立してCOMPLEXに集まったって捉えられてるけどさ、そうじゃなくて、二人共寄ったものがCOMPLEX」と語られており、基本的に"布袋寅泰"ではなく"COMPLEX"であり、ともにお互いやりたいことあればCOMPLEXに支障ないように活動するというスタンスであったようである。当時、氷室京介は、COMPLEXについて雑誌のインタビューで尋ねられた際に「あれが布袋の本当にやりたいことなのかな」「『GUITRHYTHM』を発表したのは分る。で、あえてバンド組んでああいう事をやる必要性っていうか、分らないよね」といったコメントを残している。COMPLEX結成以前に海外で活動したい、DAVID BOWIEと共演したい、という願望の方が先であり、吉川晃司と一緒にやりたいからBOØWYを解散したという話ではなくタイミングの問題と思われる。

12月12日から翌年の1989年1月15日にかけてAIRスタジオ・モントセラトにてCOMPLEXのレコーディング。AIRスタジオ・モントセラトはカリブ海の小アンティル諸島にある火山島に1979年にジョージ・マーティンが造ったスタジオ。1989年9月にハリケーンの被害により閉鎖。建物自体は廃墟となっているようだが、そのエリア自体現在は立ち入り禁止とのこと。