そしてこの年3月21日に彼らのデビューアルバム「MORAL」がリリースされる。とにかく作品がリリースされる事への喜びは何にもまして大きかったけれども、発売された作品のキャッチコピーを見てメンバーは愕然とする。 「エアロスミスとサザンとアナーキーを足して3で割ったバンド」「ラストパンクヒーロー」−確かにその頃の暴威のファンといえば 彼らの音楽に反体制的なリアクションを求める者達が多かった。けれども本質的なところでいえば上辺だけのポリティカルな要素を彼らは信じていなかったし、 その事をテーマに作品を創った事はまだ1度も無かった。 実際のシーンとは別の次元でメディア的に捉えられたパンクスというムーヴメントの中に、彼らは商業的に組み込まれようとしている作為を感じた。 レコーディングが終わり、作品が発売になるまでの間に、既に彼らはメディアが捉えるパンクスを飛び越え、もう一歩先に行っていたから、再びそのギャップは精神的にかなりこたえた.
Ø(空集合) 何処にも属さない。
過激なイメージの暴威を捨て、願いを込めてスペリングしたBOØWY。レコーディングの終了とほぼ時を同じくして変えたそのバンド名表記のニュアンスも彼らがひねろうとした方向とは全く逆か、 もしくは全く意味の無いところへ着地してしまっていた。
布袋はチェンジコスチュームを提案する。本来発売になったアルバムを持ってそのイメージの増幅でセールスを拡大していくべきところを彼らは再び別の方法で動いていく事をチョイスする。 それはリリースされるまでの期間で彼らの音楽性が急激に変化した事も原因しているかも知れなかったけれども、更に大きな事は出したばかりの作品が既に古いものに感じられてしまう程、 彼らの変化は現在も続いている事だった。 自分達の作品をコーディネイトする何かに縛られない為に、より自分達は自分達らしく、自分達だけでいる為に。 −けれどもそんなBOØWYのものすごい早さで変わって行こうとする才能に初期のファンは戸惑いを見せ始め、 そしてそれはメンバーの諸星と深沢にも同じ事が言えた。
そんな状況の中、これと信じる自分達のスタンスを許そうとしない周囲の状況に、布袋はその息苦しさから脱する為の提案をした。 9月9日の渋谷PARCO PARTIIでのステージからイメージ・方向性をガラリと変えてしまう事、後に2nd アルバムとなる「INSTANT LOVE」へのポップな要素へ、 黒づくめのイメージからもっとカラフルでビビッドなモノへ、選曲も「MORAL」を中心でなく新しい作品をメインにしたものへ−。
ファンの反応は予想以上に冷たく、後の10月9日 LOFT でのライヴを最後に深沢と諸星も正式に脱退を表明。残った彼らは、けれでも後悔はみじんも無かった。 共鳴して信じる事に忠実でいる事、何か別の事の為に音楽をしているのではないという自負がこの時はっきりと4人には理解できていた。
誰にも似ていない、何処にも属さない。
まだ理解者の少なかった時代。けれでも、その時のメンバーはそのままの顔ぶれで '88年まで突き進む事となる。 自分達の事を自分達でプロデュースする為にゼイ肉のとれたコンセプトは「Ø−con-nection」へと形を変える。 マネージャーにやはり当時の仲間だった土屋を加え、プライベートオフィスを彼らは持つ事を決意する。