■1984年/BOØWY COMPLETE/LIVE DATA

写真週刊誌「FRIDAY」が創刊され、よりスキャンダラスな事件に大衆は興味を示し、VTRデッキやVTRカメラはいよいよ一家に1台の時をむかえる。 最も精力的にライヴハウスツアーを行なったこの年。現在でも通信販売等で違法にやりとりされているBOØWYの海賊VTRもこの年に撮影されたと思われるモノが多い。 東京においても3月にはフランチャイズであるLOFTでの2Daysをはじめ、幾つもの学園祭やストリートシーンの企画するイベントにも多々登場する。 メジャーと契約しながらもメディアに載らない彼らの知名度は公式には低く、イベントはほとんどがトップでの登場だったけれど、トリでなければトップを彼らは好んでいたフシもある。

「頭ですごいのをいっぱつ」実際全てがその通りになった。彼ら以外の誰かを目アテにしていた連中もその「頭ですごいの」を1発くらって、数曲目でBOØWYのビートとメロディに踊り、 その日の帰り道から彼らのファンになっていた。ルックスやビジュアルだけで判断してしまうようになった'90年のバンドブームに比べ、当時は必ずそこにポリシーや音楽性を投影させ、 人々がコンサート会場に足を運んでいたけれども、理屈やてらいを確かに1発でふき飛ばすエネルギーをBOØWYはステージで身構えた刹那から発散し続けていた。 後のインタビューでもメンバーは語っている。

「イベントはもう勝つっきゃないっていうかさ……来てる連中を全て俺らのものにしてみせるとか思ってたよね。だってさ、あの頃の俺達にできる事っていうのはそういう事でしか無かったからさ。 したり顔の大人達ってのは振り向くどころか何もしちゃくれないんだからさ、自分の事は自分でしなくちゃね(笑)」

ツアーやシリーズのコンセプトも「アフロカビリー」から「ビートエモーション」へとタイトルを変え、3月30、31日のLOFT2Days「BEAT EMOTION〜すべてはけじめをつけてから」を最後に、 それ以後は当時都内で最大規模を誇るライヴハウス「渋谷ライヴイン」をフランチャイズとするシリーズギグが基本的には月1回のペースで行なわれ、10月27日「BEAT EMOTIONV」までその地で続く事となる。 相変らずハイエースで回る地方ツアーもこの年4回行なわれ、全てのエリアでその街最大規模でのライヴハウスツアーとなる。 東京ではライヴインに1,200人を超す動員のレコードをつくり、徐々に音楽業界の人間が彼らの回りに見え隠れし始め、 本当の意味でのメジャーとの合体を自分達のスタンスを変えずに進めていける事を感じ始めたけれども、メンバーはいたってクールにふるまっていた。 うまい話の裏側を彼らはよく知っていたし、売れていく事よりも自分達が別の何かに犯されていく事はもう何があっても我慢できる事であるはずはなかった。 けれども、そんな意志とは裏腹に状況は彼らをほっておく事を許さず、土屋は数人の業界人とミーティングを持った。LOFTの詰め込まれすぎた群集の中でひとつだけゆれる事なくジッと彼らの事を最後まで見つめていた目があった事を憶えていた。 そしてその男、後藤由多加のオフィスであるユイ音楽工房のスタッフとも、名古屋の東海ラジオの名物ディレクター、加藤ヨサオ氏から紹介され、地方で東京で最も頻繁にお茶を飲み、 土屋は徐々に傾倒し、メンバーにも紹介した男がプロデューサー糟谷銑司であった。糟谷も後藤と同じく、他の業界人とは明らかに違っていた。 旨い話をするでもなく、ほめちぎる訳でもなく、ただ彼はライヴに足を運ぶ度に彼のブレーンを同席させ意見を交換している様だった。 フォークを創り上げ、ニューミュージックへとシーンを動かした男たち、それがユイ音楽工房のイメージではあったけれども、ロックンロールを手掛けているという話はあまり聞いた事はなかった。 しかし、創り上げる音楽のスタイルではなく、シーンを生き抜いてゆく生き様に何か共通したモノを土屋は感じ始めていた。 10月7日、氷室の24回目の誕生日の席で土屋はユイ音楽工房との契約を提案する。「好きな様にやっていけるならいいな。」 そう話すメンバーの中で氷室だけがこっそりと言った。「騙されてもいい覚悟でやるなら俺はいい。泣きを見てお前が俺達にグチをこぼさないのなら−」

レコード会社は2度目の移籍。糟谷と何度もライヴハウスに足を運んでいたディレクターのいる東芝EMI。'84年彼らは2つの大きな組織と契約を交し、12月7日山形ミュージック・ショーワのスケジュールを最後にライヴ活動を停止。 これは突っ走ってきたこれまでを振り返る充電期間でもあったが、そしてまた半年のブランクの後、どんな始まりをむかえるかの1つ目の大きな賭けでもあった。



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