■1986年 JUST A HERO/BOØWY COMPLETE/LIVE DATA

彼らの活動のペースは変らない。TDを終えた彼らには渋谷公会堂の追加公演として用意された中野サンプラザでのギグが待っていた。 チケットはここでも発売と同時に即日ソールドアウト。熱狂ぶりに拍車がかかり、ロックンロールマガジンでもカヴァーを彼らが飾り始める。 今までの、状況として恵まれる事のなかった空白を全て埋めつくして余りあるかのごとく、もしくはやがてくる終章へ向けて生き急ぐようにそのアイデアは具体化され、 彼らが用意した答え以上の回答がそれら全てに用意され始めていた。シーンは振り向き、彼らのプランニングは全て具体的に現実と一致、ロックンロールマガジンは時代が彼らに追いつき始めたと書き立て、 活字媒体の中で彼らのパブリックイメージはいよいよ増幅しようとしていた。 けれどもそのイメージも含め、彼らにはまだ確実にそのイメージに対してジャッジメントできる範囲の中でのキャパシティであったから、マガジンに対してのスタンスもまだ何処か楽しめる要素の多い事でもあった。 2月1日には常にファンの間のフェイバリットソングとして上位5曲に顔を出す「わがままジュリエット」をリリース。そして3月1日には4枚目のアルバム「JUST A HERO」をリリースする。その作品は発売と当時についにチャート誌全てにランクインされた。業界の人間にとって何処からどうして出てきたのか分析のできないアーティストの作品が初登場で4位にランクインした事を誰もが驚愕したが、 その作品を聴いて更に腰を抜かしてしまう。ベルリン体験を経た彼らのアプローチが100%その作品の中でメロディとビートを核に再現されていたのだ。 レコーディングの方法、メロディと歌詞の組み合わせ、そしてロックンロールをニューウェイヴとして捉えたオリジナルなスタイルへの帰結−。 彼らがバックボーンにしてきた全ての要素、全てのジャンルのエッセンスが完璧にまとめ上げられ、それでいてそれら全ては聴き易く、わかり易く完成されていたのだ。 いよいよアナログレコードはCDへと形を変え、その特性を全て彼らなりに解釈した答えが、その作品には空間として存在しえていた。 彼らは更に今までの歴史を1本のフィルムにまとめ、自らをゲストに全国のライヴハウス、イベントホールでフィルムイベントを敢行。 オーディエンスとの距離感に絶対の自信を持つ彼ららしいプランが楽器を手にしないスタイルで実現。 そしてそれを受ける形で3月24日の青山スパイラルホールを皮切りに「JUST A HERO TOUR」を全国の大ホールでスタートさせる.チケットはどこも発売と同時にソールドアウト。ダフ屋がどこへ行ってもうろつき始め、業界全体がいよいよロックンロールバンドでのビジネスを成立させる事を考え始める。 そして7月2日彼らはツアーの最終日についに日本武道館を制覇する。 熱狂するオーディエンスに向けて氷室が放った「日本一大きなライヴハウス武道館へようこそ!」が話題を呼ぶと同時に彼らの意志とは関係なく、 彼らが追う立場ではなく、追われる立場に、そしてその音楽・方法論さえも業界に狙われていく立場へと変っていく事をそれは意味していた。

7月5日、初のミュージックビデオ「BOØWY VIDEO」をリリース。7月31日には武道館でのライヴをCD「GIGS」としてリリース。ライヴ物はセールスにつながらないという定説をふき飛ばし、 限定10万枚をあっという間にソールドアウトし、そのCDの中で再現される氷室のMCと共に彼らは名実共にNO.1の座へとかけ上がろうとしていた。

夏のオムニバスイベントでは相変わらずの強さを見せつけ、新宿都有3号地(現在の東京都庁あたり)で嵐の中行なわれたイベントには、山下久美子をはじめ吉川晃司、大沢誉志幸らをゲストに迎え、 自分達のプログラムはもとより、ゲストのパートさえも彼らが演奏を行なうというロングイベントを敢行。 嵐の中、ビルの谷間のロックンロールパーティーはこの年、NHKでオンエアされる事となる。

様々なプランをクリアしながらも彼らは全ての始まりともなる作品の制作にも手を緩める事は無く、 この年の9月29日には彼らにとって4枚目のシングルに当たる「B・BLUE」を発表。 これはテレビのベスト10番組にチャートインするが、番組への出演は拒否。 そして遂に彼らがNO.1の座に登りつめる事になる6枚目のアルバム「BEAT EMOTION」を11月にリリース。 同時に「ROCK’N ROLL CIRCUS/BEAT EMOTION」と名付けられた、この年2度目の全国ツアーを開始。 制作・再現を様々なアイデアと共に、高いクウォリティをキープしたまま短期間にそれらを完成させてしまう彼らのパワーに、 彼らに否定的なスタンスを取り続けていた洋楽系の人間や知識人達でさえ、好みを通り越えたところで、彼らを認知しない訳にはいかなくなる。 彼らの活動の早さを追い越さんばかりにパブリックイメージはいよいよ膨らみ始めていった。

*この年のデータ
01/27 布袋寅泰と山下久美子、挙式
02/03 TVK「FUNKY TOMATO」出演
02/21 TX「NEW AGE MUSIC」出演
02/24 フィルムコンサート開催
03/03 CX「オールナイトフジ」出演
03/03 CX「夜のヒット・スタジオ」出演
03/28 毎日放送「TV音楽観」出演
04/04 毎日放送「TV音楽観」出演
04/26 中京TV「5時SATマガジン」出演
05/03 中京TV「5時SATマガジン」出演
05/30 CX「いきなりフライデーナイト」出演
11/05 CX「夜のヒット・スタジオ」出演
11/15 CX「オールナイトフジ」出演
12/03 CX「夜のヒット・スタジオ」出演
12/12 CX「いきなりフライデーナイト」出演
12/24 NTV「Merry X'mas Show」出演


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