まずはそこを何とかしなければいけない実体の無かった部分のキャリアは、ベルリンとロンドンで確実に彼らの中で彼らのテーマを整理させていた。 ここからが本当の始まりになる。何となく不確かだったポイントはその時初めて彼らを確実なスタートラインに心身共にのせていた。 浮かれていた要素を排除した時、彼らの目指すものはやはりまず日本でしかない。 帰国の数日後、東京での5ヶ月振りのライヴが彼らを待っていた。それも初めて彼らの名前がクレジットされた招待状がマスコミに配られ、 場所もライヴインではなく赤坂のラフォーレミュージアムである。チケットはソールドアウトしたという情報の中で新しい始まりに向けて彼らが再び牙をむき出しにする時を待っている。アルバムのタイトルは何のギミックもない、そのバンド名と同じ「BOØWY」。先がけてシングル「ホンキートンキークレイジー」もリリースされる。 アルバムのタイトルに思いを込めて、彼らは新しい戦いの地へと戻っていく。
ラフォーレの成功を受け、アルバムの発売を期に彼らは早速アクティヴに動き始める。 周囲のほとんどの反対を押し切り6月25日渋谷公会堂でのギグを発表。動員も含め否定的な声の中で発売されたチケットはすぐに売り切れ、僅かに用意された当日券も長蛇の列。 チケットを手に入れる事のできないオーディエンスを生み、ここからコンサートにおける倍々ゲームの幕が切って落とされる事となる。 8月22日「BAD FEELIN’/NO.N.Y.」のカップリングで12インチシングルを発売。更に10月から始められる次回作のレコーディングの為に、氷室と布袋によって30曲という大量の曲が用意され、 この中から11曲に絞り込まれた。再び佐久間氏をむかえ、10月24日から山中湖ミュージックインスタジオにてレコーディングをスタートさせた。 ベルリンを体験し、ロンドンに足を運んだ彼らの、原点に戻ったからこそ生み出されたアイデアは言葉にも音創りにも新しい形として影響を与え、作業は順調に進む。 そして12月24日クリスマスイヴの夜、BOØWYは圧倒的なリクエストに答え再び渋谷公会堂のステージに立つ。 ここでもまた彼らはただのアイドルでは絶対にやれない事、ましてや売れて行こうとする者達が必ず伏せてしまう事を堂々と発表する。 −ギタリスト布袋寅泰の山下久美子との結婚−。発表にあたってメンバーからは反対どころか過激な祝福を受け、彼らは自分達のステージのアンコールで新婦をステージに迎え入れた。 そしてそれ以後、12月24日の渋谷公会堂が恒例化する。それは既成のシーンの判断に左右されないという彼らの決意表明でもあった。 そして12月27日彼らは既にレコーディングが終了している4枚目のアルバムのトラックダウンの為、再びベルリンに向けて旅立っていった。